高麗洞遺跡址

韓国語名함안 고려동 유적지

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高麗洞遺跡地は、高麗後期の成均館進士李午先生が、高麗が滅び朝鮮王朝が成立すると、高麗への忠節を守ることを決意して住まいと定めた場所であり、その後、代々その子孫が暮らしてきたところである。李午先生はここに塀を築き、高麗遺民の居住地であることを意味する「高麗洞學」という碑石を立て、田畑を耕して自給自足を行った。李午は死ぬまで官職に就かなかった。また息子たちにも新しい王朝に仕えないこと、自分が死んだ後も自分の位牌を他の場所に移さないことを遺言した。子孫たちは19代600余年もの間、この地で先祖の遺産を大切に守りながら暮らした。さらに、官職よりも子女の教育に専念し、学徳と節義で名高い人物を多く輩出した。こうして高麗洞(高麗洞)という名で今日まで受け継がれている。

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